レコンキスタ  第3回



西ゴート王国が亡びた際に、西ゴート王国の貴族であったペラーヨは、イベリア半島北部の山岳地帯に逃げ込み、狭い地域にアストゥリアス王国を建国しました。ここでようやくレコンキスタが始まります。西ゴート王国の末裔がイベリア半島を取り戻していく訳です。ウマイヤ朝イスラム帝国は、西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を勢力下においた後に、東に向かい、ピレネー山脈を越えて、フランク王国になだれ込みました。ボルドーまでイスラム軍は進み、フランク王国のカール・マルテルはそれを向かいうちます。ツール・ポワティエの戦いと呼ばれています。それでフランク王国は何とかイスラム軍を撃退することに成功します。もし、ここでフランク王国が負けていたら、欧州の歴史は全く違うものになっており、キリスト教文化が花開くことはなかったでしょう。

というわけで、フランク王国の征服を果たせなかったウマイヤ朝は、イベリア半島に腰を落ち着けて、アル・アンダルスの発展に注力するようになりました。
当時はゲルマン系のヨーロッパよりも、イスラムの方が圧倒的に高度な文化を誇っていました。古代ギリシャ、古代ローマの文明は、ゲルマン系のヨーロッパ人達には受け継がれず、。
コンスタンチノープル(今のイスタンブール)を経由して、アラブを中心としたイスラム世界に伝わりました。そして大発展したイスラム文明が北アフリカを通ってジブラルタルを越えてイベリア半島に伝わった訳です。

ウマイヤ朝のアラブ人やムーア人が腰を落ち着けたイベリア半島のコルドバ、グラナダにイスラム文明の粋を結集させた宮殿が造られ、元々、西ゴート王国の首都があったトレドに、当時としては、世界最大級の図書館が建設されました。コルトバにある850本の円柱が支える宮殿メスキータ、グラナダのアルハンブラ宮殿、など、イスラム教徒の栄華の象徴です。
イスラムの灌漑技術、新作物の導入によって農業が大発展し、コルトバの織物、紙の産業、製陶業、ガラス工芸、貴金属の工芸、など、西ゴート王国時代とは比較にならない程、大発展しました。もちろん、アフリカやアラブのイスラム世界との交易も発展しました。イベリア半島からは織物、手工芸製品が輸出され、アル・アンダルスの経済は大発展しました。具体的にいうと、みんな豊かになって行った、という事です。

アストゥリアス王国では、牧羊業が中心で、農業の生産性も著しく低かったです。生産性というのは経済力とイコールなので、そこに住む人々は貧しくて、典型的な、中世ヨーロッパの貧困国でした。

次第に、キリスト教徒が領土を取り返していきますが、アル・アンダルスとアストゥリアス王国とでは、経済力に圧倒的な差がありました。

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