レコンキスタ  第4回



アストゥリアス王国軍、ピレネー山脈北部のバスク人のナバラ王国軍がイスラム帝国に攻め入りますが、余裕しゃくしゃくのイスラム帝国軍は、経済力でも圧倒的な差があったので、簡単に撃退します。攻め込んでは撃退され、攻め込んでは撃退され、を何度も繰りかえします。ひたすら戦争を繰り返す時代が、レコンキスタ、なのです。

アストゥリアス王国からカスティーリャ王国、ポルトガル王国が生まれました。更にナバラ王国につながるアラゴン王国とカスティーリャ王国が合併しましてスペイン王国が誕生しました。これらの国々はキリスト教の国なので、キリスト教小王国と呼ばれています。

1085年にカスティーリャ王国のアルフォンソ6世がついにトレドを奪還します。イスラム帝国も紆余曲折があり、一枚岩で戦っていたわけではありませんでした。ウマイヤ朝イスラム帝国が750年に滅んでしまいます。王朝をアッバース家に乗っ取られてしまい、アッバース朝イスラム帝国に変わりました。アッバース朝はウマイヤ朝の王族をひたすら殺しつづけましたが、たった一人残ったアブド・アッラフマーン1世がアフリカからイベリア半島に渡り、ウマイヤ朝を再興しました。後(こう)ウマイヤ朝ですね。その後、しばらくは繁栄しましたが、後ウマイヤ朝は後継者争いなどで弱体化し、1031年に滅亡しました。後ウマイヤ朝が滅亡してもイベリア半島の各地で、タイファと呼ばれるイスラム諸侯が独立し、分裂割拠してイスラム支配が続きました。

その後、イスラム諸侯であるタイファ達も内部分裂などを繰り返しまして、アフリカ大陸からムラービト朝イスラム国とかムワッヒド朝イスラム国などの支援を受けて、イベリア半島を舞台に、キリスト教勢力が押し込みつつもイスラム勢力を完全に半島から駆逐出来ないという状況が続きました。

イスラム教徒とキリスト教徒による戦いなので、異教徒同士、凄惨な戦いでした。特にキリスト教徒は、強大な経済力を誇るアル・アンダルスに攻め入らなければならなかったので。

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