古代史上最大のヒロイン神功皇后 第九回



忍熊王(おしくまにみこと)は山代(やましろ)の国まで退却し、軍を立て直し、更なる死闘が展開されました。そこで、神功皇后(じんぐうこうごう)は、難波の吉師部(きしべ:渡来系の氏族)の祖の伊佐比宿禰(いさひのすくね)を将軍に、太子(ひつぎのみこ:品陀和気命(ほむだわけのみこと:後の第十五代、応神天皇))の方は、丸邇臣(わにのおみ)の祖の難波波根子建振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)を将軍にして戦いました。

そして、太子(ひつぎのみこ)側が伊佐比宿禰(いさひのすくね)を追い退けて、伊佐比宿禰(いさひのすくね)側も引かずに立ち向かって来て、互いに一歩も引かない戦いになりました。

そこで、建振熊命(たけふるくまのみこと)は、

「息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)は、既に亡くなった。だから、これ以上互いに戦うことはない」

と伝えさせ、持っていた弓の弦をすぐに切り、相手を欺き降伏して見せました。

忍熊王側の伊佐比宿禰(いさひのすくね)は、その偽りを信じて、弓を外し、兵を収めました。

するとその時、建振熊命(たけふるくまのみこと)は、頂髪(たきふさ:頭頂で束ねた髪)の中から、予備の弦を取り出し、それを弓に張り追撃しました。

それにより、伊佐比宿禰(いさひのすくね)側は、逢坂(おうさか:京都と滋賀の境)まで退却し、そこで向かい立って再び戦いました。

しかし、建振熊命(たけふるくまのみこと)側は、とうとう伊佐比宿禰(いさひのすくね)側を追い詰め、沙々那美(ささなみ:琵琶湖西岸)にて撃破し、ことごとく敵兵を斬り殺しました。

忍熊王(おしくまにみこと)と伊佐比宿禰(いさひのすくね)は、共に追い詰められ、船に乗り込み海(琵琶湖)に漂いながら歌を詠みました。

「いざ吾君(あぎ) 振熊(ふるくま)が 痛手負はずは 鳰鳥(にほどり)の 淡海(あみふ)の海に 潜(かず)きせなわ 」

訳:

「さあ、我が将軍よ、振熊(建振熊命(たけふるくまのみこと))なんかに痛手を負わされるよりは、水鳥の鳰(かいつぶり:カイツブリ属に分類される鳥類)のように、近江(おうみ)の海に潜ろう」

こう歌を詠み終えるとすぐに海(琵琶湖)に身を投げ共に死んでしまいました。

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