古代史上最大のヒロイン神功皇后 第八回



仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)には、大中姫(おおなかつひめ)との間に、香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)という二人の皇子(おうじ)がおいでになりましたが、絶世の美女、息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと)を新たに皇后とします。

仲哀天皇が崩御され、その時妊娠中だった息長帯姫大神こと神功皇后は新羅(しらぎ)征伐から帰国後、筑紫国(つくしのくに)にて皇子(おうじ)を産み、武内宿禰(たけしうちのすくね)等と大和へ帰りました。

それを聞いた香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)は、次の皇位が幼い皇子に決まることを恐れて、共謀して筑紫から凱旋する皇后軍を迎撃しようとしました。

そこで、神功皇后は、喪船(もふね:棺(ひつぎ)を乗せる船)を一隻用意させ、御子(品陀和氣命(ほむだわけのみこと):後の第十五代、応神天皇(おうじんてんのう))をその船に乗せ、

「御子は既に亡くなりました」

と言い広め大和へと向かいました。

すると、それを聞いた香坂王(かぐさかのみこ:異母兄)、忍熊王(おしくまにみこと)達が、待ち伏せし殺害しようと企て、その吉凶を占うため、斗賀野(とがの)にて誓約狩(うけいがり)をしました。

香坂王が、櫟(くぬぎ)の木に登っていると、そこに大きな猪が現れ、その櫟の木を堀り倒し、香坂王を食い殺してしまいました。

香坂王の弟の忍熊王は、誓約狩の結果が「凶」だったにも関わらず、軍勢を集め神功皇后の船に立ち向かいました。

その時、忍熊王らの軍勢は、喪船をやりすごし、空船を攻めようとしました。

すると、神功皇后(じんぐうこうごう)は喪船から軍を下して戦いになりました。

つまり、本物に似せただけの物と思わせた喪船に兵が乗り込んでいて、皇后たちの乗る船には実は皇后も兵も乗っておらず、忍熊王らを欺き、油断させる策(情報戦略)だったわけです。

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