大東亜戦争 その4



続いてデフレを脱却したのが、ナチス・ドイツ。シャハト経済相がアウトバーン建設などの正しいデフレ対策が行ないました。それにより様々な産業が活性化して、ドイツもデフレ脱却を果たします。ナチスは色々問題も多い政権だったと思いますが、経済政策に関しては、非常に優れていました。1932年には40%を超えていた失業率が5年後にはほぼ0%でしたから。人気が出るのも当然の事でしょう。

問題はアメリカで、1933年の時点で失業率が24.9%。ルーズベルト政権が誕生して、いわゆるニュー・ディール政策を開始。正しいデフレ対策を行ないました。ところが、今の日本のように、ちょっと景気が良くなるとすぐ緊縮財政をし始め、一向に景気が上向かない状況でした。1937年に14.3%まで失業率が下がったにもかかわらず、緊縮財政を再開して、また失業率が上昇しだします。

失業率の改善したナチス・ドイツはこれまでの人気を維持し続けるために、国民の要望に応えようとします。それは第一次世界大戦で失った領土の回復とユダヤ人移民問題。それでドイツはポーランドに攻め入り、第二次世界大戦が勃発します。

日本に開戦を決意させたハルノートは、アメリカから見れば「提案」でした。とはいうものの、アメリカは日本を仮想敵国として、日本に向け戦闘機等も配置済み。ABCD包囲網で、日本に経済封鎖もしていて、日本のエネルギーの備蓄量は1年分もない、支那事変では蒋介石を後方支援していいる、等の状況もあって、当時の日本政府が素直に話し合いができる状況ではなかったであろう状況だったでしょうか。
今の日米関係を見てもわかるように、日本が断れない環境に追い込まれた上で、普通に公平に提案をしてきたわけです。受け入れないであろうことを承知の上で。
後に日本を占領した時のGHQのトップであるマッカーサー元帥も「日本にとって、とても受け入れられるものではない」と言っているように、「提案」として受け止められるものではなかったことは確かです。

特に満州についてですが、日露戦争において、日本人の多大なる犠牲の上に得た地域で、当時の日本国民にとっては満州は特別の地だった訳です。アメリカ側だってよくわかっており、なので日米共同で満州を開発しようという「桂ハリマン覚書(おぼえがき)」が反故にされても、アメリカはすぐには表立って敵対してきませんでした。日英同盟を解消させるよう、暗躍したりしますが。

当時、石油の輸入が途絶えており、備蓄があるうちに石油が取れる土地を手に入れたかった
日本はソ連に攻め入るか、東南アジアに攻め入るか、迷いました。

ソ連もドイツとの戦争が始まったこともあり、東から日本に責められると困るので、何とかアメリカと戦争するよう、ゾルゲなどのスパイが暗躍します。

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