大東亜戦争 その3



なので、日英開戦前には、イギリスはマレー半島に戦艦を備え、アメリカもフィリピンのクラーク海軍基地に、台湾にある航空部隊を攻撃するための戦闘機をズラリと配備済でした。

真珠湾攻撃後、それらの戦闘機は台湾に向かいますが、霧で攻撃できず引き返しますが、高尾から飛び立った日本の戦闘機は天候に恵まれていて、クラーク海軍基地襲撃に成功しました。真珠湾以前から、日米はバシー海峡(バシーかいきょう)でにらみ合っていたという証拠でもあります。

では、なぜ「真珠湾攻撃で宣戦布告が遅れた。日本は卑怯だ。」と叩かれたのでしょうか?

それは、アメリカには日本と戦うための理由が必要だったからです。当時は、イギリスも、アメリカも、日本も、民主主義国家でしたが、アメリカは移民国家であって、移民国家という事は国家への忠誠心が高くなく、ナショナリズムが育ちにくい訳です。だから戦争のたびに愛国心.をあおるわけです。そういう国が大戦争を戦うためには、何か物語が必要だった、という事でしょう。1932年の大統領選挙で、現職のフーヴァーを破って新大統領となったF・ルーズベルトは、「絶対に戦争しません。」と宣言していた手前もありますし。

おまけに、アメリカは1940年夏の段階で、日本軍の暗号コードの解読に成功しており、日本の情報はアメリカに筒抜けだったという事実があります。日本は終戦後も気づきませんでした。織田信長のように情報を重んじた参謀が大本営にいたら、どうだったのかな、と思います。

日本と中国国民党との事変が切っ掛けとなったわけですが、この原因も根深くて、大本は日清戦争となる19世紀末。そこにソ連の北満州への侵略、中国共産党の勃興と、蒋介石も敵がコロコロ変わる、など、複雑な時代背景があり、そこに日本が引き込まれていったということです。ソ連や中国共産党から見ると、蒋介石と日本が潰しあってくれるのは、最高の展開だったでしょう。それで結果は中国共産党が中国の支配権を得たわけですから。

1929年に世界恐慌が起こりますが、世界恐慌とは超デフレーションであり、アメリカなどでは失業率が1933年の時点で24.9%まで行きました。特に酷かった国はドイツで、1932年の時点で失業率が43.3%でした。当時は今ほど社会保障が整っておらず、国民の不満は最高レベルに達していました。こうなると、「構造改革」などと過激な主張する政党が政権を取りやすくなります。ナチスですね。

1931年11月に、犬養(いぬかい)内閣が成立して、高橋是清(たかはしこれきよ)大蔵大臣が積極財政によるデフレ対策を始め、世界で最も早くデフレ脱却を果たします。
その前の濱口(はまぐち)内閣が緊縮財政で「節約、節約」だったのの、反対をやったのですね。

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