大東亜戦争 その2



で、この頃、中国国民党軍を指導していて物資も供給していたのがドイツ。当時の中国軍は強かったこともあり、日本軍も多大な犠牲を強いられる事となります。後の同盟国のドイツが国民党を指導して対日戦線を開かせました。

その当時からずっと、蒋介石はアメリカとイギリスからも軍事物資な支援を受け続けておりました。本当に日本と支那が戦争をしていたのなら、国際法によって、アメリカとイギリスは支援物資を送ることはできません。これも「支那事変」が戦争ではない証拠です。

それで日本としては蒋介石を援助している、いわゆる「援蒋(えんしょう)ルート」をつぶしたかった事もあり、戦闘が拡大していきます。つぶさないと戦争が終わらないから、というのが理由です。香港経由、ベトナム経由、シベリア経由、ビルマ経由、などです。

なので、アメリカとイギリスは、真珠湾以前から。日本に敵対行動を取っていました。
特にマレー半島(シンガポール)で、真珠湾以前に、日本とイギリスは戦争を始めています。

1920年代から、イギリスとアメリカの当時の防衛白書を見ると、仮想敵国は日本であり、両国は日本の海軍力を封じ込めるという動きをやり続けました。「ワシントン軍縮条約」「ロンドン軍縮会議」などがそうですね。とっくの前に日本と英米が敵対していた証拠でもあります。で、五・一五事件(ご・いちごじけん)や二・二六事件(ににろくじけん)にも繋がっていくことになるのでしょう。

こういう事からも、当時の世界には、海洋国家というのが三ヵ国しか存在せず、日本の軍事力は世界に相当の影響力を持っていたことがわかります。軽く捻りつぶせる相手なら、仮想敵国にはしませんから。

戦争というものは準備し始めた状態から始まるのであって、東条英機(とうじょうひでき)が、昭和天皇が戦争をしたがっていないのを知って止めようとしたものの、既にどうにも回避できない状態だった、と述べていますが、10年以上かけて、戦争が避けられないようになっていったという事なのでしょう。

もちろん、当時の政治家たちも、自分の国民のために頑張っていることなので、誰が悪いというものではないのでしょう。アメリカにはアメリカの、イギリスにはイギリスの、日本には日本の、言い分があります。

1940年当時、日本は強大な国力を持っていた国でした。が、我が国には、鉄や石油などの資源がないという決定的な弱点がありました。どこかから輸入しなければ産業が成り立たなかった訳です。ということは、日本も海洋国家にならざるを得なかったわけです。でなければ、西洋諸国の植民地になっています。なので、同じ海洋国家として、英米と利害が対立したのは、致し方のない事だったでしょう。

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