邪馬台国はここだ!ついに秘密が明かされる 後編  


東に行って、不弥国(ふみこく)に到達するまで100里ある。不弥国(ふみこく)は神功皇后の逸話にも登場しますが、現在の福岡県糟屋郡宇美町ですね。ここまでで、10700里。
残りはわずか1300里。「魏志倭人伝」でいう1里は、中国史で一般的な400mよりも遥かに短いことがわかります。100m以内でしょう。古代中国の数学書、「周髀算経(しゅうひさんけい)」によると、1里は約76mと計算されているとの事。

ということは、女王の国は、福岡県糟屋郡宇美町から、半径100km以内だという事がわかります。もちろん道路も整備されていなかった時代なので、直線距離のはずがありません。山々を縫って進む事になります。北に行けば海の中になるし、

女王の国は福岡県糸島市に一大率(いちだいそつ)を置き、北の国々を観察させていました。
さらに女王の国の南には狗奴国(くぬこく)があり、男子が王となっており、女王の国と対立していた、とあります。狗奴国とは、もちろん熊襲(くまそ)国でしょう。長官の狗古智卑狗(くこちひこ)とは、熊本県菊池郡を領有していた菊池彦の事でしょう。

これらのことから推測すると、邪馬台国の位置は、現在の福岡県みやま市一帯で間違いないものと思われます。旧、山門郡(やまとぐん)ですね。

「魏志倭人伝」の地理や政治情勢に関する記述が相当に正しいことが理解できたものと思います。

不弥国(ふみこく)から女王の国までの経路について「水上を航行して10日、陸上を航行して1ヶ月かかる」とされているからです。「宇美町からみやま市まで水路で10日、陸路で1ヶ月もかかるのはおかしい」という事だったのですが、古代の中国の使者は輿(こし)に乗ってゆっくり移動し、途中で何度も接待を受け、水路だと川を遡(さかのぼ)る形になってしまうため、時間がかかっても不思議で何でもありません。舗装されているわけではないので。

しかも女王の国の北には、20ヶ国以上もの服属国があり、当然、各国に滞在しながら進むため、1ヶ月かかるのは、むしろ当然のことだと思われます。

飯塚市などの筑豊(ちくほう)地域や北九州市などは、女王の国には属しておらず、別の倭族の勢力に支配されていました。

「魏志倭人伝」に「女王の国の東の海を渡って1000里あまり行くと、また国がある。皆、倭人の種族である。」とありますが、これこそ、大和王朝なのかもしれません。

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