「万世一系の皇統」女系天皇誕生で国体が崩壊する理由  



「皇室」あるいは「皇統」、「天皇」でもいいですけど。「天皇家」や「天皇制」は共産党用語なので使いませんが。
「皇統」というのは、「権力」ではありません。「権威」なんです。「権威」、過去の人類の歴史を見ると、我が国だけが唯一「権威」と「権力」が分離しているという状況がずっと続いていました。日本の場合でも、権力者は、結構変わりました。藤原氏、平氏、源氏、北条氏、足利氏、豊臣氏、徳川氏、など、です。ところが、「権威」と「権力」が分離しているために、我が国では権力者の交代はありましたが、国家としては永続してきました。だから別に権威は維持されていますが、権力者は誰でも良いわけです。で、我が国では、国体が維持され続けることとなりました。

当然ですが、日本以外はそうではありません。基本的に、権威と権力は一致しています。そのために、権威だけ残したまま、権力者が交代するっていうのは、あり得ません。権力者が交代する時に、権威もガラッと変わってしまいます。それの何が問題かというと、要は易姓革命ですが、新たな権力者になったカリスマが、過去の権威である前の皇帝一族を全否定しなくてはいけません。そうしないと、自分の正当性を主張できないから。ということで、毎回毎回、権威と権力が一気に変わるっていう、この易姓革命が続いて、混乱によって秩序が破壊されていきました。

それに対して、日本は権力者は変わるけど。権威は一定で、変わりません。ずっと皇室があるわけだから。権力者が変わる時に、国体の変更とかはありません。混乱も起きない。秩序も維持されるという、そういう国が我が国なのです。

で、なんでこんなことになるかというと、国家のあり方が違うからです。
「天皇が日本を支配している」なんてことを自虐的史観の方々が言うんですが、日本の場合は、そんな事が一度もありません。天皇と国民は一体だからです。なぜなら、天皇には、何の権力もありません。ただの権威ですから。日本国というのは、それこそ憲法の用語でいうと、象徴する権威が天皇なんですね。

それに対して、日本以外というのは、国王や皇帝が国を支配しました。だから階級があるんです。で、国家全体が階級社会にならざるを得なかったわけです。

日本には階級がなかったわけではありません。もちろん。皇室があって貴族がいて武家がいて、農民がいて、商人がいて、工芸職人がいて、と、色々なそういう階級っぽいものはありましたが、でも国全体では、全員が家族なんです。これが「八紘一宇」(はっこういちう)という事です。家族の中で、その1番上の国家の正当性を保障する権威が皇室だというだけです。

でも、他の国は違いますから。他の国は、完全に国王とか皇帝と国が分離しているので。だから国王が滅んでも、国は続きます。何よりの証拠に、フランス革命でルイ16世が処刑されましたけど、その後も、フランスは続きましたから。権力者が変わっただけです。

で、日本においては、天皇、あるいは、皇室・皇族・皇統イコール日本だったわけです。日本の中には民が入っていますからね。
この何よりの証拠があります。それは、「万葉集」(まんようしゅう)です。

「万葉集」の中に、山上憶良(やまのうえのおくら)が日本について定義した歌があります。

「神代より 言(い)ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめがみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継(つ)ぎ 言ひ継かひけり」

現代訳:神の御代より言い伝え来ることには、空に満ちる大和の国は、神である天皇の統治される厳しき国で、言霊の幸ある国と語り継ぎ、言い継いで来た。

つまり神話の時代から続いているのが日本なんですよということを山上憶良が言っているわけなんです。この万葉集って、凄いんです。

現存する最古の和歌集ですが、作者が、もちろん天皇、貴族、から、兵士、農民、遊女、乞食に至るまで、多岐にわたっております。で、作者は身分によって評価されません。和歌によって評価されているんです。

もちろん男女の区別、詠まれた地域、とかも関係ありません。蝦夷の地で詠もうが。あるいは、筑紫国で詠もうが、京都で詠もうが、対馬で読もうが、関係ありません。とにかく、詠んだ歌、和歌が心を打つかどうかによって、評価されて掲載が決まったという、そういう和歌集が「万葉集」でした。

こんな歌集は日本にしかありません。もちろん皇帝一族とか貴族の一族の詩集みたいなものがあるかもしれないけど、一般庶民の詩が載るわけがありません。載ったとしても削除されます。これは、どうせ遊女が詠んだ歌だろうとか、これは乞食が詠んだ歌じゃないか、とか。「万葉集」には、そういうものの区別が一切ありません。とにかく歌が心を打ったんだったら掲載します、という形で編(あ)まれた歌集が「万葉集」ということです。
日本というのは、昔から国民が家族だったんですよというのが、歴史なんですよ。

ちなみに、江戸時代末期、statesの日本語を作る時に、「国」ではなくて、「国家」としました。「国家」、「国の家」。つまり日本国というのは、世界で、唯一、「家」なのです。
八紘一宇(はっこういちう)、です。他の国は違います。これは日本人のみが抱(いだ)く感情なので、他の国の人には理解できないわけです。だから「軍国主義」などと言われたのでしょう。ということで、国家という言葉が作られたんですけども。「国家」という言葉に「家」っていう言葉が、なぜ入っているのか。我々は改めて考える必要があると思われます。

天皇って、じゃ何のためにいるのか。権力を使わないじゃないか、と思われる方も少なくないのではないでしょうか。天皇は権力はありませんが、最高の権威です。

では、権威としての天皇は何をやるのか、というと、「民のために祈ること」をやります。実は、これほとんどの日本国民がわかってないと思いますが、天皇は、日本の神道の最高の神主(かんぬし)です。神社に色々な神主(かんぬし)さんがいますよね。ああいう方々を束ねている最高の神主が、天皇陛下なのです。で、陛下は日本の最高の神主として、神々に五穀豊穣(ごこくほうじょう)や国民・国家の平和・安寧・繁栄を祈る役割を担っています。というか、担ってきました。だから皇帝じゃないんですよね。天皇について英語では「エンペラー」と訳されていますが、絶対に違います。ローマ教皇に近いです。欧米人に天皇について説明する際に、最も解ってもらいやすいのは、ローマ教皇と似た存在である、ということです。で、ローマ教皇も祈るのが仕事なわけで、国家元首にもかかわらず、権力がありません。でも権威はものすごいんです。ペトロの後継者ですから。
で、ローマ教皇は、もちろんキリスト教徒のために祈ります。最近は、人類のため、みたいなことを言ってますが、本来は、カトリック教徒のために祈る方です。

天皇は、日本国家のために祈ります。これが天皇なのです。
この天皇という権威が男系によって、ずっと受け継がれてきた、っていうのが、我が国の歴史です。男系。つまり、お父さんの、お父さんの、お父さんの、お父さんの、お父さん、と辿っていくと、神武天皇に行き着くわけです。

最近、「女系天皇」という言葉をよく見かけます。「女系」はダメだ、「男系」が、と。
でも、そもそも大半の日本人が男系天皇の意味を理解していないような気がするから、改めてまとめておきます。

神武天皇。つまり、初代天皇の「息子の、息子の、息子…」と辿ってくると、昭和天皇、そしてその息子でいらっしゃる平成の天皇陛下、その息子でいらっしゃる今上(きんじょう)天皇に繋がるわけです。これが、男系です。じゃ、「今上(きんじょう)天皇のお嬢さんである愛子内親王殿下は天皇になれませんか?」という人もいるかもしれません。

なれますから。だって男系なんですから。愛子内親王殿下は、お父さんのお父さんのお父さんを辿ると、神武天皇なんですから。問題は、愛子内親王殿下が結婚されて、子供が産まれたとしても、その子供はなれません、ということです。男系というのは、こういう事です。

その子供が天皇になったら、その瞬間に、女系になってしまいます。でも考えてみたら、女系というのもおかしいのです。だって愛子内親王殿下が、誰かと結婚して子どもを産みました。その男性の方っていうのは、別に例えば、天照大御神から、女系、女系、で繋がっているわけではありません。女系でも男系でもありません。東京や京都におられる旧皇族の方と結婚されれば別ですが、恐らく普通の人でしょう。

つまり愛子内親王殿下が男系皇族以外と結婚して、産まれた子供は、天皇になれません。これは女系外天皇って言われていますけど、厳密には違って、男系外天皇という事です。

女系でもないですよ。女系って言うんだったら、天照大御神の「娘の、娘の、娘の、娘の、娘」が、例えば、この男性だったというパターンじゃないとあり得ません。でも現実は違いますよね。もしかしたら、そうなのかもしれないけど、多分、現実は、普通の人なんです。

ということで、その女系でも男系でもない、ただの男性と結婚した愛子内親王殿下の子供は、天皇になれません。なぜならば、男系じゃないから。女系だからじゃなくて男系じゃないから。で、しつこいけど、愛子内親王殿下本人は、天皇になれます。ただの男系の女性天皇ですよね。ちなみに女性天皇っていう呼び方もありません。天皇は、女性も男性も関係なく天皇なのです。で、男系であればいいんですよ。ということなんですね。

で、この男系天皇について、女性を排除しているとか、差別しているとか、わけの分からないことを言う人がいますが、それは、誤解です。この男系天皇によって排除されているのは誰かというと、我々日本の男性です。例えば、一般の女性は、男系の皇族と結婚して、その息子、あるいは娘が天皇になるかもしれません。でも日本の男性は天皇の父親になることはできません。それでは男系の否定になってしまいます。

だから愛子内親王殿下が、ご結婚されるかどうか分かりませんけど、将来ご結婚されて、日本の普通の男性と結婚されたとしても、その子供は天皇になれません。本人はなれるけど、子供はダメです。つまり排除されているのは誰ですか?これ、男性なんですよ。

だから女性差別だって言うけど、むしろ男性差別じゃないかと。男性は、どうあがいたって、天皇の父親にはなれません。祖父にはなれますが。
「おかしな言い方がされているな」と思われますが、いずれにしても、日本は男系でずっと続いてきました。

で、結構、大事な話ですが、例えば、愛子内親王殿下の旦那さんが中国人男性だったらどうなのか、という事になります。
男系を否定するということになると、そうすると、論理的には、中国人の男性と愛子内親王殿下がご結婚されて、その子供が天皇になることができるという事になります。

それって「日本の天皇」なんでしょうか。明らかに皇統が中国に奪われたということになりませんか?あるいは、藤原道長を超えるような野心満々の男が、皇族の女性と結婚して、それで自分の息子、あるいは娘を天皇にする。自分はなれないけど、自分の娘・息子を天皇にする。で、実際にやっちゃって、権力を振るいまくる。皇統・皇室は、めちゃめちゃになります、ということになりかねませんから。支那の、前漢(ぜんかん)と後漢(ごかん)の間の王朝(おうちょう)である新(しん)帝国を建てた王莽(おうもう)のように。
恐らく、そういうのを排除するために、男系を維持してきた、と思われます。

残念ながら、維持できなくなった時もありましたが、その時は、ちょっと様々な手段でなんとかするということをやってきました。最大の危機は、武烈天皇が崩御なされて、継体天皇が即位される時だったと思われます。詳しくは別の動画で解説しています。

ということで、男系というのは、それなりに根拠があります。男系、これが1番大事な所で、男系で皇室から排除されているのは、男性であって、女性ではないわけですが、こういう問題の時に、すぐ女性差別だ、どうのこうのっていう、くだらない人がいますが、話が逆で、男性が排除されているんだぞ、というような正論を通すために、反論していく必要があると思ったから、ちょっと強調しておきました。

ところで、皇統というのは、権威であって権力ではないわけですが、権威って、そもそも何でしょう?
権力というのは、暴力・金・情報などを活用し、他者を支配するパワーの総称です。だから、そういう意味で、国家というのは、確かに権力です。でも、ありがたい事に、日本は民主国家なので、その権力を行使して様々な制限を加える際の根拠である法律を作る時に、日本国民が関与できるから、そんなに別に横暴でも何でもないんですけどね。でも権力は権力です。

権威とは、支配される側が納得せざるを得ない何かの事です。ドイツの政治学者、マックス・ヴェーバーが、支配の三類型ということで上手く整理してくれています。縦軸に非日常的なのか日常的なのか、あるいは、横軸に個人的なのか非個人的なのか。非個人的って分かりにくいので、社会的、って考えた方が良いでしょう。社会的、そういうマトリックスで支配の類型には3つあります。1つが、非日常的で、かつ個人的なカリスマ的支配。その個人が、どうしてもその人を信仰しちゃうという話なんです。日常だけじゃ、あり得ないんですが。今、この瞬間あの人を崇拝する。これがカリスマ的支配です。分かりやすいのが、ナポレオンですね。ナポレオンって、コルシカの島民の息子ですが、それがフランス皇帝にまでなりました。なんでかというと、それは戦争に強いからです。という形で、カリスマ的な支配っていうのが、1つあります。あらゆる宗教の教祖たちも、ここに該当するのではないでしょうか。で、非個人的社会的かつ日常的な支配っていうのは何かというと、これは合法的な支配。つまり法律です。私達は、法律を守っていますよね。つまりは、法律に支配されているんですよ。日常的に。これは法律っていうのは、社会的な話ですよね。

で、そのうちの、カリスマ的な支配で、権力・権威を握った人の権威は長く続きません。例えば、ナポレオンにしても、自分が死んだらおしまいだというのは分かっていたんでしょうね。自分に対しては、みんな崇拝してくれるけど、自分の息子とかには、どうなんだと。
ということで、例えば、ナポレオンにしても、あるいは始皇帝にしても、カリスマ的な支配を合法的な支配に持って行こうとしました。つまり法律によって、権威が維持されるようにするわけです。例えばナポレオンで言うと、自分の息子をローマの王にしました。赤ちゃんだったのですが、その赤ちゃんに権威を持たせるために、ローマの王であるという形で、合法的にしていったわけです。そういうようなやり方をしていきましたが、でも、残念ながら、それでも長続きしませんでした。

結局長続きする権威って何かというと、個人的であり、かつ日常的である伝統的支配なんです。伝統なんです。例えば、ナポレオンの息子がローマ王になりました。で、ローマって、当然ローマ帝国の皇帝という意味合いを持っていましたから。そのローマ王が代々続いて100年続いたと。そうすると、伝統的支配になって、中々支配を覆すことができなくなるんでしょうけど、すぐにナポレオンの帝国は滅びちゃいました。

つまり1番長続きして、かつ個人に影響を与えて、しかも日常的なそういう権威って何なの?と。それが伝統なんですよ。そんなバカなと思うかもしれないけど。残念ながら、それが事実です。伝統なんです。これが2代目とかだったら、何の権威もありません。

間違いなく、神武天皇の東征があったのは紀元前なので、日本の皇統は、男系で2000年以上続いているからこそ、権威があるんです。

日本の場合は、その伝統的な権威というのを作らざるを得なかったのかな、という事情もあると思います。大きな理由は2つあります。

日本列島では、中長期的な土地の整備が必要になります。人々の協力が必須の稲作、ですね。これが中心だったからです。稲作って、1人ではできないですから。それは、田植えや刈り取りは出来ますが、田んぼを作るために、様々な人々が協力し合って、それで土木工事をやって、水がちゃんとその田んぼに入るようにして、栓を抜いたら、ちゃんと排水されるようにして、とかというような、そういう工事をやらないわけにはいかないからですね。大変幸運なことに、日本には、川がいっぱいあります。で、雨もいっぱい降るので、水自体が足りないということは、あまりなかったんですが、その水をちゃんとコントロールする必要がありました。そのためには、協力しなくちゃいけない。多くの人が、もちろん「今日、俺の畑のために働いてくれたから、じゃ、明日はあなたのために働いてあげよう」っていうような、そういうことをやらなくちゃいけないんですよね。ということで、人々が協力しあわなくちゃいけない。自分の田んぼを作ってもらって、次の日に、「お前嫌いだから、お前の田んぼはやらない。」なんてのはダメですよね。
「じゃ、次からお前の所はやらないよ」っていう話になっちゃいますから。

そういうわけで、我が国では、協調して人間が生きていかざるを得なかったわけです。ちなみに、日本の村の悪習として、村八分(むらはちぶ)という言葉がありますよね。あれは何かというと、冠婚葬祭以外は、面倒を見ないということなんです。つまり結婚式とか、誰かが死んだ時の葬式とかは手伝うけど。それ以外はやらないと。これが村八分なんだけど、そう言われると酷いような気がするけど、そこまで喧嘩しても、冠婚葬祭は面倒を見てくれるわけです。逆に。で、この時に、もうやらないっていうのが、さっきの田んぼを整備するとか稲を植えるとか。あるいは刈るとか。そういうことはやらない。やらないんだけど、でも、さすがに冠婚葬祭を1人でやるというのは大変だから、そこだけは手伝うよ、という訳です。これが村八分なんですね。だから、現代日本での、学校や職場での無視、ハブる、そういう行為とは全然違います。

もちろん酷いかもしれませんが、村八分にされるというのは、何かの理由があるんですよね。例えば、「ちょっと今日俺の田んぼを整備するから手伝ってくれ」って言われて。何か理由があったら別だけど、理由もなく面倒くさいなってサボったとか。
多分そういう発想の延長線上に村八分っていうのがあるのだと思われます。でも、村八分(むらはちぶ)だけども、二分(にぶ)、冠婚葬祭は手伝いますよ、ということなので、すごく恩恵のある社会だと思われます。逆に考えてみると、でも、水田をやる以上は、そうならざるを得なかったとも思われます。

で、もう一つは、大震災です。日本は、世界でも最も多く自然災害が多発する国であるということです。自然災害が起きた時には、人々が共同して助け合わなければいけないわけです。
だって、大地震とか、台風被害とか、水害とか、土砂災害とか、豪雪とか、火山噴火とか、竜巻とか、これには、1人で立ち向かうことはできません。個人主義なんて言っていられないわけです。実際、アメリカで十代を過ごした高橋是清(たかはし・これきよ)が「日本文化を壊すもの」として、個人主義を非難しているくらいですから。だから、大東亜戦争後に、アメリカは日本に個人主義を植え付けました。二度とアメリカの脅威とならないように。

日本というのは、稲作と自然災害多発という理由によって、人々がお互いにガーガー揉めて、衝突して、下手をすると戦い合う、なんてことをやっていたら、生き延びられない国であって、そこに住んでいる人々が中々揉めないように、権力者が交代するのはしょうがないんだけれども、その度に、国民が半分以上虐殺されるとか、そういうことが絶対に起きないように、ということで、権力と権威が分離したんじゃないか、と思われます。だから権力者が変わったって、別に殿様の名前が変わりましたくらいのことです。農民にしてみれば、その上には、お天道様といいますか、すめらみこと、天皇陛下がいらっしゃりますよということなので、余り変わりません。だから権力者が変わったからって、その前の権力者の関係者達をぶっ殺してやろうとか、逆に、我々は殺されるから反撃しよう、などといったことをやらなくて済みます。

実際に、ユーラシア大陸では、どこの地域でも、ずっとこういうことが行なわれていましたから。権力者の交代、「権力者」プラス「権威の交代」イコール「生きるか死ぬかの闘争」ですよね。特に前の王朝の関係者というのは、基本的に皆殺しされましたから、皆殺しにされるくらいだったら、反撃してやれって、当然なりますよね。ということで、毎回毎回内戦が起きました。

ところが、日本では、そんなことは、1回も起きたことはありません。それは、そうしないと生きていけない国だったからです。だから、そのためには、つまり闘争が毎回起きないようにするに、権力と権威の分断が行われたんじゃないかなと思われます。

そのために、権威が世界最強になったのが、現在の皇統なわけで、女系天皇では、その世界最強の権威が終わるどころか、日本国が日本国でなくなってしまう、という事です。

王室をなくして、後悔している国が、うらやましくて仕方がない国が日本。なので、何とかして、日本の皇統を壊してやろう、という考える人も少なくない事なのでしょう。

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