人類史上最悪の兵器  その7


コルテスのアステカ征服の十年後、スペインの軍人、フランシスコ・ピサロが、ペルーを中心に広大な地域を支配していたインカ帝国を滅ぼします。決定的な戦いは1532年のカハマルカの戦いです。ペルー北部にカハマルカはあります。標高2700メートルの高地で、今ではペルーのカハマルカ県の県都(けんと)となっています。太平洋の海岸から、200キロほど内陸に入った盆地です。ピサロの侵略軍は当時のスペインの拠点があったパナマから、今の国名で言えばコロンビア、エクアドルを海岸沿いに南下し、ペルーに入りました。

当時のインカ帝国にも軍隊はありました。カハマルカでは、インカ皇帝アタワルパが実に8万の大軍を率いてピサロ達を待ち構えていました。スペイン勢はわずか166名のならず者がピサロに率いられていただけでした。ピサロ率いる兵馬は鉄と銃で武装しており、アタワルパ軍を圧倒しました。スペイン側に殺されたインカ兵は7000人以上、皇帝アタワルパも捕虜にされ、後に残虐なやり方で処刑されました。スペイン側の勝利の理由ですが、まず武器が違っていた事。インカ帝国には鉄の精錬技術がなく、石や青銅製の棍棒、あるいは木製の武器でした。対するスペイン勢は、鋼鉄の剣に加え、銃で武装していました。またアメリカ大陸には馬が存在せず、インカ帝国の兵士たちは騎馬を初めて見ました。防具もスペイン側は鉄の鎧、兜。対するインカ側には鉄製の防具がなく、騎馬で突っ込んでくる鉄の固まりに立ち向かいようがありませんでした。

鉄の兵器で戦うような機会が、アメリカ大陸ではなかったから、このような大敗になってしまった訳です。ユーラシアでは、紀元前15世紀頃に、肥沃な三日月地帯を支配したヒッタイト帝国以降、鉄器が一気に広まりました。人々が移動しやすいユーラシアでは、当然ながら戦乱が絶えず、武器が進歩して、かつ伝播せざるをえなかったわけです。

もっとも、アメリカ大陸の先住民の命を最も奪った兵器は、鉄の剣でも銃でもありません。
スペイン人が持ち込んだ史上最悪の兵器、疫病がアステカやインカ、その他、アメリカ中の先住民の大半を片っ端から死滅させました。ユーラシアから隔離されていたアメリカの先住民には疫病に対する抗体がなかったからです。コロンブスが西インド諸島に到達した時点から南北アメリカで猛威を振るうようになりました。特に最悪の兵器として機能したのが、天然痘です。当時アメリカに入った西洋人の多くは天然痘ウィルスの保菌者でした。ところが、南北アメリカの先住民は、天然痘に対して、完全に無防備で、結果、繰り返される天然痘の大流行で、南北アメリカ大陸に住む先住民を絶滅に近い状況にまで追い込んでしまいました。

最終的に、南北アメリカ大陸に住む先住民の95%の人達が亡くなってしまった訳です。

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