大・古墳文明  その5



日本独自の前方後円墳は大和王朝の本拠であった、纒向(まきむく)や難波(なにわ)など、近畿地方に集中しています。

邪馬台国があった九州ではどうなのでしょうか?

女王の国、つまり邪馬台国とは何の関係もなかった事が確実な、日向国(ひむかのくに )、宮崎県にある西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)という日本最大級の古墳群では、方墳や円墳が多いのですが、前方後円墳も31基あります。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨し、神武天皇が東征に旅立った地ですから、言わば、大和王朝の故郷の地ですから。

西都原古墳群で最古の第81号墳が前方53メートルの前方後円墳なのですが、2004年度から2005年度まで、宮崎大学の柳沢教授らによって発掘調査が行われ、建造が四世紀初頭とかなり早い時期に造られたもので、しかも、纒向の石塚古墳と極めて類似している事が判明しました。纒向の箸墓古墳(はしはかこふん)が造られたのが、三世紀末から四世紀初頭なので、日本最古の前方後円墳が造られたのと、さほど時間もかかっていない時期に日向国(ひむかのくに )でも前方後円墳が造られていた訳です。このような独特のものが、大和と日向でほぼ同時に思いつく事はありえないでしょう。

というわけで、当時の大和王朝は王朝発祥の地である日向とかなり密接に交流があったものと考えるべきでしょう。纒向の箸墓で前方後円墳を建設し、それを日向からの来訪者が見たか、大和王朝が技術者を日向に送り出したか、という事です。

ところが、古墳文明にも、自虐史観の歴史学者や歴史小説家が難癖をつけています。

例えば、仁徳天皇陵について、「あれは仁徳天皇の陵墓ではない可能性がある。」などと主張する学者や作家が大勢います。

仁徳天皇が指図した場所に存在しているにも関わらず。だから、難癖なんですけど、ね。

彼らが各地の天皇陵、つまりは歴代天皇のお墓に難癖をつけている理由は、宮内庁が古墳内部の調査を認めないためです。

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