大・古墳文明  その4



仁徳天皇陵と言えば、おもしろい話があります。
仁徳天皇は実は生前に自分の陵墓を造る位置を決めています。「日本書紀」によると、

六十七年冬十月庚辰朔甲申、幸河內石津原、以定陵地。丁酉、始築陵。是日有鹿、忽起野中、走之入役民之中而仆死。時異其忽死、以探其痍、卽百舌鳥、自耳出之飛去。因視耳中、悉咋割剥。故號其處、曰百舌鳥耳原者、其是之緣也。

即位67年冬10月5日。河内の石津原(イシツノハラ=和泉国大島郡石津郷=現在の大阪府堺市石津町)に天皇は行き、陵地(ミサザキノトコロ=墓所)を定めました。18日に陵(ミサザキ=墓)を築き始めました。この日に鹿が、たちまち野の中から現れて、走って、役民(エタミ=墓作りの仕事をしている民)の中に入って倒れて死んでしまいました。その死んでしまったことを不思議に思って、その鹿の傷を調べてみました。百舌鳥(モズ)が耳から飛び出して飛んで行きました。耳の中を見ると、ことごとく食い割って肉が剥げていました。それでその場所を名付けて、百舌鳥耳原(モズノミミハラ)といいます。これはその所以です。

というわけで、仁徳天皇陵は、大阪府堺市の百舌鳥耳原にあります。最寄り駅はJR阪和線「百舌鳥駅」です。

仁徳天皇陵は前方後円墳ですが、最初の前方後円墳は、建造が三世紀末から四世紀初頭と推定される、奈良盆地纒向(まきむく)の箸墓古墳(はしはかこふん)です。第7代孝霊天皇の皇女(ひめみこ)の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓です。箸が突き刺さり亡くなった事でこの名前が付きました。箸墓古墳は全長が280メートルもあるのですが、それでも、日本の巨大古墳ランキングで11位です。首位はもちろん、仁徳天皇陵の全長486メートル、2位が応神天皇陵で425メートル、3位が履中天皇陵で365メートルです。

もちろん、日本の古墳には、邪馬台国の卑弥呼の墓として「魏志倭人伝」に記載されている円墳(えんふん)や四角い方墳(ほうふん)もあります。というか、数で言えば、円墳や方墳の方が多く、前方後円墳は少数派ですが。

方墳は出雲に多く、円墳は全国まんべんなく造られたようですが、卑弥呼の墓と目(もく)される、みやま市の権現塚古墳(ごんげんづかこふん)は直径50メートル弱です。「魏志倭人伝」には径104歩と書いてあるので、1歩を50センチとすると、ピッタリです。

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