大・古墳文明  その2



ピラミッドを建設していた労働者の人達はなかなか良い暮らしをしていました。ピラミッド建設はファラオによる公共事業だった、という説も有力視されていますし。

神の化身であるファラオが権威を高めるために自らの巨大な陵墓を建設させる。農閑期に報酬を与えて、農民を労働に従事させ、犯罪や暴動などの、余計な事をさせない。非常に合理的ですね。古代エジプトの極端に高い農業生産性がなかったら、無理な話だったんでしょうが。中世ヨーロッパの小麦の収穫倍率は数倍程度でした。それに対して、エジプトでは、収穫倍率が落ちた中世ですら30倍ありました。古代エジプトでは70倍あったと言われております。それだけ、ナイル川の影響が大きいという事です。「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」と言ったのは、ヘロドトスですが、ナイル川は毎年氾濫し、上流から運んで来た良質の土壌を農地に拡散します。結果的に、中世欧州では足元にも及ばない生産性を達成できました。農業生産性が高ければ人口も増えます。更には農民の生産力を食糧生産以外に向ける余裕が生まれます。

ところで、エジプトにはピラミッドの遺跡はいくつあるのでしょうか?
現時点で確認できる数は140基です。もちろん、砂漠に埋もれてしまっているものも少なくないかもしれませんが、多くても数百基でしょう。

次の質問ですが、我が国で、三世紀後半から八世紀初頭にかけて造られた古墳の数は、何基でしょうか?
答えは20万基以上です。それに、確かに日本の古墳の多くはピラミッドほどの規模ではないかもしれませんが、中にはピラミッド以上の面積のものもあります。日本最大の前方後円墳でもある仁徳天皇陵は、全長486メートル、高さ35.8メートルで、巨大墳墓として名高い、クフ王のピラミッドや秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の陵墓を面積で上回る世界最大の墓標です。

「エジプトのピラミッドは石だけれども、日本の古墳は土で出来ているから大したことはない。」などと言う人もいますが、土のお墓を舐めてはいけません。仁徳天皇陵の墳丘(ふんきゅう)の総容量は、京都大学の高橋逸夫教授の試算では、14万5860立方メートル、現在の10トン・ダンプトラックに換算すると25万台分に相当します。仁徳天皇陵を造っていた時代にはダンプトラックはありませんでした。古代日本では、家畜を使う習慣もなかったので、全て人力作業で行われました。

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