レコンキスタ  第5回



ただ、キリスト教側には有利な点がありました。

それは、貧しかった事。アル・アンダルスのイスラム教徒は非常に豊かだった訳です。
それがキリスト教徒側に有利に働きました。元々は戦士階級でイベリア半島に住みついたアラブ人やベルベル人達が、アル・アンダルスの繁栄の中ですっかり都市化して、戦う魂を失っていった訳です。今の世界でもそうで、都市に住む人よりも農地などのように、自分の土地を持っている人達の方が、真剣に外国からの侵略に立ち向かおうとします。理由は自分の土地を守るためです。レコンキスタの時代、キリスト教小王国は、イスラム勢力との戦いに勝ったら、獲得した土地を、惜しげもなく、騎士達や兵士達に、惜しげもなく、分け与えました。何しろ、元々、自分の土地ではありませんでしたから。
つまり、戦いに勝てば、豊かな土地、を手に入れることが出来て、かつ、イベリア半島の北部にはなかった文明の品々を略奪することが出来た訳です。
それでキリスト教小王国の兵士たちは死に物狂いで突撃しました。

更に、イベリア半島のキリスト教小王国のバックには、ローマのカトリック教会がついていました。1198年には、ローマ教皇インノケンティウス三世が、「イベリア半島でイスラム勢力に立ち向かえ!」とヨーロッパ中に呼びかけました。

というわけで、豊かな文明や土地を求めて、更にはキリスト教世界からのバックアップを受けて、キリスト教小王国は南へ南へと進んでいき、1251年、ついにカスティーリャ王国がジブラルタル海峡に到達しました。その後、イスラム勢力は、グラナダを中心にナスル朝グラナダ王国として残っていましたが、ほとんどカスティーリャ王国の属国のような立場でしたが。しかし、最後まで残ったイスラム勢力の国がナスル朝グラナダ王国だったので、イベリア半島に住んでいたイスラム教徒は、皆そこに移り住むようになりました。そのため、その人たちの貢献もあり、経済や文化面では、グラナダ王国はその前よりも発展しました。

1474年にカスティーリャでイサベル1世が女王として即位します。さらに1479年にアラゴンでイサベルの夫であるフェルナンド2世が即位します。結果、カスティーリャとアラゴンが合併して、スペイン王国が誕生します。イサベル女王とフェルナンド王を合わせて「カトリック両王」と呼ばれています。ローマ教皇のアレクサンデル6世が名付けたのですが、文字通り、カトリックの王である、と認定されました。つまり、キリスト教の神に選ばれた国王という事です。日本人にはピンときませんが、ヨーロッパではその権威は絶大でした。1492年、スペインはついにグラナダのアルハンブラ宮殿を陥落させ、ナスル朝が滅亡。774年かかって、ようやくイベリア半島からイスラム勢力を排斥することに成功しました。日本で言うと、鎌倉時代から現在まで戦い続けてたわけです。

ちなみにトレドの図書館には膨大な量のイスラムの文献が残されており、それがラテン語に翻訳され、それがイタリアでルネッサンスが始まる事となりました。

このレコンキスタこそ、現代に続くグローバリズムの始まりとなりました。ここから日本も世界史の渦に巻き込まれていきます。

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