石之日売命の嫉妬と黒日売



葛城襲津彦(かずらき の そつひこ)の娘で武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫にあたり、皇族外の身分から皇后となった初例とされる仁徳天皇の大后(おおきさき)の石之日売命(いわのひめのみこと)は、とても嫉妬深い女性だったため、天皇にお仕えしていた妾(みめ)は宮の中にも入ることができません。恋の噂が立つことなどがあれば、足をジタバタさせて妬みました。

天皇は吉備の海部直(あまべのあたい)の娘の黒日売(くろひめ)が容姿端正(かたちきらきら)しいと聞いて、呼びよせて仕わせました。しかし大后(おおきさき)の妬みを恐れて本国の吉備へ逃げ帰ってしまいました。

天皇は高台に居て、日売(ひめ)の乗った船が出て行き、海に浮かんでいるのを見て歌いました。

沖方には 小船連らく
黑鞘の まさづ子我妹
国へ下らす

歌の訳:沖の方には小舟が浮いている。
あれは愛しのあの子が国へ帰るのだ。

大后(おおきさき)はその歌を聞いてとても怒り、部下を大浦に派遣して、黒日売(くろひめ)を船から追い立てて降ろして歩いて帰らせました。

ここから石之日売命(いわのひめのみこと)の嫉妬の話が続きますが、石之日売命の嫉妬深さを紹介するためだけなら、一つの説話だけでも良いと思われます。

この姫は吉備国の出身です。一方、皇后は葛城氏(かずらきうじ)です。

吉備は吉備王朝が存在したのでは?と言われるほど、大きな勢力を持った豪族でした。大和王朝としては武力制圧するか、婚姻関係で懐柔するか、という吉備は放ってはおけない存在だったはずです。

それで、仁徳天皇は後者を選択したのでしょう。吉備の娘を妃にすることで、懐柔しようとしたわけです。

一方、既に皇室の外戚になっている葛城氏は、吉備と大和朝廷の接近に危機感を覚えたのではないでしょうか。それで吉備の排除に乗り出したのでは?

そんな政局を表したのが、吉備出身の黒日賣を葛城出身の皇后が追い出した説話に象徴させたのではないでしょうか。

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