【衝撃?】実はトイレットペーパーがなかった頃の、意外な拭き方



先日、SNS上で「トイレットペーパーが品薄になる」というデマが拡散しました。信じた人々の買い占めによって品薄状態が発生しましたが、デマはデマなので、実際には国内に在庫は豊富にあり、ここ数日で品薄状況はかなり解消しました。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響から、マスクのようにトイレットペーパーも品薄になる、というデマが、SNS上で拡散しました。それを鵜呑みにした人が大量に買い占め、トイレットペーパーの品薄状態が発生しましたが、デマはデマなので、実際には国内に在庫は充分にあり、ここ数日で品薄状況が解消に向かっております。

ところで、そういう事もあってなのか、「トイレットペーパーのなかった時代にはどうしていたんだろう」と不思議に思ったので、トイレットペーパーについての歴史を解説したいと思います。

どこの国でもそうなのですが、我が国でも、長い間、紙は大変貴重でした。そのため、今のように使い捨てることはありません。
使い捨てにしない用具として、貝殻や籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木片をトイレットペーパー代わりにしていました。

12世紀末の旧河本本『餓鬼草紙』という絵巻の一図である「食糞餓鬼図」では、路上で童子が排便している場面が描かれており、実際に籌木を使っている様子を見て取る事ができます。

子供が高下駄を履いて大便が身体につかないようにし、手に籌木を持って踏ん張っている様子が描かれていますが、これは、籌木を支えにして勢いよく排便すれば尻を汚さずに済むということです。

仮に汚してしまった場合には、今のトイレットペーパーと同じようにお尻を拭く用途にも使用したため、糞箆(くそべら)という風に呼ばれていました。
いわゆるサスティナブル(環境破壊をせずに持続可能なこと)ですね。
平安時代にトレンドものがあったとは、ビックリですね。

この籌木は、長い時代に渡って使われ続けており、一部では江戸時代末期まで使用されていたそうです。

「村方はもちろん、町中でも下層の者は便所で紙は用いず、木べらを使っています。」と江戸時代の飛騨郡代の手紙にも記載されていたものが残っております。

寒さの厳しい飛騨の地では、決して資源が豊富であったわけではなく、裕福ではない住人たちは皆、木べらで拭いていたという現状がありました。

昭和の頃になっても硬めの便所紙が一般的でしたが、新聞紙などで拭くこともありました。汲み取り式の頃には、今のようなきれいなロール紙ではありませんでした。昭和40年代後半のオイルショックのトイレットペーパー不足も、先日のように、全国で大騒ぎというわけではありませんでした。

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