仁徳天皇の即位が衝撃すぎてヤバい!



応神天皇には、大山守皇子(おおやまもり の みこ)、大雀命(おほさざきのみこと)、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のたくさんの皇子(おうじ)がいましたが、末っ子の菟道稚郎子を天皇にしたいと考え、大山守皇子と大雀命を呼び、二人に年上の子と年下の子のどちらの方が可愛いか、と尋ねました。天皇の問いに、大山守皇子は「年上の子が可愛い」と答え、大雀命は年下の方が可愛い」と答えました。応神天皇は大雀命の言葉に喜び、次なる天皇を菟道稚郎子と決めました。

応神天皇が崩御されると、大雀命は応神天皇の遺言に従って、菟道稚郎子に皇位を譲ろうとしました。ところが、大山守皇子は応神天皇の遺言に背いて、菟道稚郎子を殺して皇位を得よう、と宣言しました。

大山守皇子が菟道稚郎子を攻めるための軍を整備していると聞いて、大雀命は使者を菟道稚郎子に送って知らせました。

菟道稚郎子は軍を率いて宇治川を渡ろうとする大山守皇子を船頭の格好をして待ち構えました。まさか船頭が菟道稚郎子だとは思わなかった大山守皇子はそのまま船に乗り込みましたが、川の途中で振り落とされてしまいました。周囲には菟道稚郎子の軍が伏せていて、大山守皇子に一斉に矢を射かけて来たので、大山守皇子はそのまま下流に流されて亡くなってしまいました。

その後、菟道稚郎子と大雀命は、お互いに天皇になってくれるよう、皇位を譲り合いました。兄弟がひたすら譲り合い、周りがうんざりしていると、菟道稚郎子が不幸にも亡くなってしまいます。「日本書紀」では自殺と書かれていますが、「古事記」では不明です。皇位を押し付けあっているところで亡くなったので、自殺もありえる気もしますし、ある程度の脚色があったとしても、「譲り合った」ことが嘘というのも早計に思います。

太子の薨去により即位した大雀命こそが、「聖なる天皇」として日本の古代史に燦然と輝く仁徳天皇なのです。

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