大東亜戦争 その7



東京裁判にしても、「戦争犯罪人」という事で裁かれてしまいますが、「戦争犯罪」などというものはなかったので、最終的には「人道に対する罪」「平和に対する罪」などというもので裁かれます。何の法律に基づているのかもわかりません。A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯、というのも区分の話で、A級戦犯とは「人道に対する罪」で、B級戦犯は国際法違反の者なので「本来の戦争犯罪人」、C級戦犯とは「平和に対する罪」。B級戦犯ならわかりますが、A級戦犯とC級戦犯って、何なのでしょう?要するに、アメリカ、イギリスなどの連合国側は「善」で、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側は「悪」という話が作られていて、それに沿っているだけの事。
1945年8月15日に戦闘は終わりましたが、これ以降も1951年9月8日まで戦争は続きます。戦争とは何かといえば、戦闘する目的を達成することで、この時のアメリカにとっては、日本を二度とアメリカの仮想敵国として脅威を抱かせないような国にする事、でした。
歴史上、空母対空母の艦隊決戦を戦った国はアメリカと日本しかないからです。日本もアメリカも海洋国家なので、利害を上手く調整しないと衝突するケースが多いと思われます。

なので大東亜戦争が起こった背景はとても複雑で、支那事変ひとつ取っても、簡単には説明できません。

支那との戦争も切っ掛けは朝鮮半島をめぐる戦いからで、欧米列強からの脅威を避けるために、支那、朝鮮と組んで戦いたかった日本の意向を無視し、国土の大半を白人の植民地としてしまった支那から、日本と支那を両てんびんにかけつつ、ロシアにも色目を使い続ける朝鮮を守るために頑張り続けた事。日本は朝鮮と台湾を国の一部として併合し、多大なインフラ投資をして、大量の物資を輸入しました。朝鮮、台湾に多大な貿易赤字を抱えていたのを見ると良くわかります。日本に併合される前と独立後の街並みの写真を比較してみると明らかです。もちろん、日本が朝鮮を真面(まとも)な国にするために頑張ったのは、朝鮮のためというより、日本の防衛のためですが。

GHQの最高司令官のマッカーサーが、どうして日本が満州に拘ったのか、朝鮮戦争が起きて初めて理解し、とても日本に失礼なことをしてしまった、と引退後に後悔しているので、大東亜戦争が起きる経緯もとても複雑でした。蒋介石には蒋介石の立場が、イギリスやアメリカにはイギリスやアメリカの立場が、日本には日本の立場があって、その利害がぶつかった、という事です。この戦争を避ける方法は、恐らくなかったのではないかな?としか思えません。この戦争の経緯を知れば知るほど、一生懸命に戦ってくれた先人たちに感謝しかありません。

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