明治以降の近代化は、人類の歴史の奇跡なのか? 後編



EU諸国では、まだ離脱していない英国を含めると、28ヶ国が参加しており、EU議会の公用語が24言語です。EUには自分たちの国の言語を守るという約束があります。だから、議会では自分たちの言語が公用語でないのは許せない、というのが条件だったのです。
議会の同時通訳は、常時350人。重要な議会の場合には500人。年間1500億円の費用がEU議会にかかっていると言われております。

英国内でも、イギリス英語、コーンウォール語、ウェールズ語、スコットランド語、アイルランド語の5つの言語が使われております。なのでEU内28ヶ国の言葉が統一されていないのは、当たり前と言えば当たり前の事です。あのちっちゃなイギリスでさえ、このように言語が分裂します。

ですから、このEUの28ヶ国の言葉が分裂していくというのは、当たり前といえば当たり前の事です。一番の原点はバベルの塔なんですよね。
ノアの子孫はこの塔を造ったとありますが、なぜこんな塔を造ったのか、一切書いてありません。

「さあ、町をつくり、天に届く塔を建て、名を揚げよう。我々が、全地に散らばせられないように。」

大洪水があって、ノアの家族が様々な動物のオスとメスを方舟に乗せて、あの家族だけがさまよい出たわけで、その子孫が作ったとうのだから、これはきっと洪水に対する避難タワーではないでしょうか。

こういう中で、なぜ日本語は分裂しなかったのか?

ヨーロッパと同じように3500kmもある日本列島で真ん中に脊梁(せきりょう)山脈があり、各地が分断されている国にも関わらず、通訳なしに会話できるのか?

これが実は日本近代化の大きな手掛かりの一つです。

まず、日本人は情報を共有していました。
文字の共有をしていました。

日本は、情報が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた国でした。
広重の「東海道五十三次」の浮世絵などを見れば良くわかりますが、
大きな船が日本列島中を行き来し、多くの船が帆を下ろして休んでいます。
大きな船が港に着くと、小舟で川の中を小運搬(こうんぱん)しています。
そういう姿が描かれています。これがドンドン上流に向かっていくわけです。
日本中が、この船のネットワークで結ばれていました。
この情報の蜘蛛の巣の上に、日本人はいました。こんな国は他にありません。
しかも海だけでなく、川の奥深くまで港を作り、山の奥まで引き船があったという事です。

江戸へ行くときには、米や果物や木材などを運びましたが、こんな山奥まで何を運んだのか?

それは情報です。情報を運びました。

江戸に品物を届けて空船になった船の中には瓦版(かわらばん)や浮世絵、人形など、江戸の貴重なものが満載されていました。

当時の日本中の人達が、瓦版を読んで楽しんでいました。「赤穂浪士が討ち入りした」など、1週間後には、日本中の人達が知っていたと言われています。

まさに情報の固まりが、日本列島の津々浦々、海の港から山の奥までたどり着いていたわけです。

つまり、江戸時代の265年間、日本中の人達は、江戸から発信された文字や情報を共有していたわけです。

このように日本人が同じ文字を読み、同じ文字を語る。同じ言語を使っていたからこそ、強い日本が生まれ、近代化への原動力となったわけです。

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