古代史上最大のヒロイン 神功皇后 第四回



そこで、大臣(おおいぎみ)の武内宿禰(たけのうちのすくね)が言いました。

「恐し。我が天皇、なほ大御琴をあそばせ」

その言葉を受けて、仲哀天皇はしぶしぶ琴を引き寄せて、弾き始めましたが、しばらくすると琴の音が聞こえなくなりました。灯りを灯してみると、仲哀天皇は亡くなっていました。

この話も、天皇の歴史を輝かしく見せたいのなら、書く事はなかったでしょう。神に呪い殺されてしまったわけだから。祟りではなくても、心臓発作を起こして死んでしまったという事実があったので、こういった話が伝わっているのかもしれません。何から何まで否定して「存在しなかった」という歴史学者の見解はいかがなものでしょうか?

武内宿禰は、驚き懼(おそ)れて、殯宮(もがりのみや)に亡骸を安置しました。
そして、神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。
この大祓を済ませると、再び、武内宿禰が審神者(さにわ)となって、ご神託を求めました。

今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、

「凡そこの国は、汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国ぞ」

と諭されました。そこで、武内宿禰が神の名前を尋ねると、天照大神の御心を伝え、執り行なっているのは、底筒男(そこつつお)、中筒男(なかつつお)、上筒男(うわつつお)の三柱である、と告げました。いわゆる住吉三神(すみよしさんじん)です。

「今まことにその国を求めむと思ほさば、天神地祇(てんじんちぎ)、また山の神と河海(かかい)の諸(もろ)の神に悉(しつ)に幣帛(みてぐら)を奉り、我が御魂(みたま)を船の上に坐せて、真木(まき)の灰を瓠(ひさご)に納(い)れ、また箸と葉盤(ひらで)を多に作りて、皆皆大海に散らし浮けて度(わた)りますべし」

というわけで、神功皇后や武内宿禰は、神のおっしゃるままに軍船を並べ、朝鮮半島の南東に位置する新羅の国に攻め入りました。

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