古代史上最大のヒロイン 神功皇后 第二回



戦後の日本人の多数派は、「朝鮮や中国に酷い事をした」という、国家の安全保障や外交、政治の現実を無視した自虐意識に囚われていました。最近では、相当に自虐意識が払しょくされつつあります。

ところで、日本人の紀元について、ですが、男子にしか受け継がれない、Y染色体を調べると、ハプログループD1bを持つ人が人口の三割以上も存在する国は我が国だけで、他国ではD1bを持つ人がほぼいません。世界中で、日本人の男性のみです。日本人のY染色体の構成は独特で、他のどの国の人とも似ていません。Y染色体は、男性から男性へ、と引き継がれていきます。つまり、その国が征服されてしまって、男性が皆殺しにされると、Y染色体は征服者たちのものに入れ替わってしまいます。実際、支那でも朝鮮でも蒙古でも、人口の大半が消え失せるのを、歴史上、何度も経験しています。
これが意味する事は、日本は異民族に征服されたことはなかった事を証明してくれています。つまり、「騎馬民族説」や「弥生時代に数百万人の渡来人が押し寄せ、稲作を伝えた」などという説は完全にデタラメであることが証明されています。

ところが世界には男性の人口のうち1.6%だけ、ハプログループD1bを持つ地域があります。それが韓国です。朝鮮民族の男性のY染色体の構成は中国人に非常に近いのですが、中国人にはハプログループD1bが全く見られません。

朝鮮半島の遺跡を調べると、1万年から5千年前の5千年間の地層から出る遺跡が全くありません。ということは、5千年前まで、朝鮮半島には人間が住んでいなかった事が証明されました。そして、それ以降の朝鮮半島の地層からは、日本の縄文式土器や石器などの遺跡が出土し始めます。つまり、遺跡発掘の結果やY染色体の構成を考えると、結論は一つ。

縄文時代に、日本列島から多くの日本人が朝鮮半島に移り住み生活していたが、その後、中国人の侵略によって、大半が死滅させられた、という事です。で、わずか韓国の人口の1.6%達だけが縄文人男性の生き残りであるわけです。多くが死滅させられたので、朝鮮半島から日本列島に逃げ帰って来た人たちもいたとも思われます。なので、古代より、日本と朝鮮半島との繋がりが強かったのは、間違いありません。特に大和王朝と関わり合いが深かったのは、百済、です。本格的な関わり合いを持ち始めたのは、「古事記」や「日本書紀」を見る限り、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后であった神功皇后(じんぐうこうごう)の時代からです。

もっとも、戦後の日本の歴史学界の間では、「神功皇后は架空の人物である」などと言われています。

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