古代史上最大のヒロイン 神功皇后 第一回



神功皇后(じんぐうこうごう)は、「古事記」や「日本書紀」には、普通に書かれている人物です。日本史上、初めての摂政で、さらに明治時代までは第15代目の天皇で初の女帝とされていました。
大東亜戦争の敗戦までは学校教育の場で実在の人物として教えられていましたが、現在では実在説と非実在説が並存しています。
フランスの「国史」の教科書から「ジャンヌ・ダルクは実在した証拠がないので削除されました。」なんて事があったら、フランス人は怒るのではないでしょうか?

日本人の戦後の歴史観が理由なのですが、代表的な古代史否定論を、ここで列挙したいと思います。

一つ目は、邪馬台国が大和王朝の紀元であるという説。「邪馬台国東遷説」(やまたいこくとうせんせつ)と呼ばれています。東遷した時期や形態についても九州王朝説と関連して多くの説があります。「奈良県桜井市の纒向(まきむく)が邪馬台国である」などと言っている説もありますが、「日本書紀」の垂仁天皇の項に「冬十月、さらに纒向に都を造り、珠城宮(たまこのみや)と言った。」という文がありますし、「古事記」では、「景行天皇が纒向日代宮(まきむくひしろのみや)を造り、そこで天下を治めた」とあるのに、何を言ってるのでしょうか。纒向は、垂仁天皇から景行天皇の時代に、大和朝廷の都だった場所です。
考古学の時代考証もピタリと合っており、邪馬台国とは何の関係もありません。
「邪馬台国東遷説」が正しいとなると、大和朝廷の建国が、数世紀、後ろ倒しになります。

二つ目は、「騎馬民族征服王朝説」(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)です。考古学者で、東京大学名誉教授の江上波夫は、大東亜戦争敗北後、間もない頃に、突然、この学説を唱えだし、一世を風靡しました。騎馬民族日本征服論とも言います。現在では「奇想天外なファンタジー」と認識されていますが、信じている人も多いという困った学説です。
何しろ、日本人は伝統的に去勢を知らない。去勢とは陰茎ではなく、精子を作れなくするために陰嚢を取るわけですが、多くの日本人は勘違いしている人がものすごく多い。もし騎馬民族が日本を征服していたのなら、去勢技術も当然入ってきています。騎馬民族の乗る馬は、去勢された雄馬(おすうま)なので。にもかかわらず、江上教授は「遊牧民は去勢をしない」などと言い張ってます。過去も現在も、放牧で生計を立てるには去勢は必須です。去勢技術に対する文献も大量に残っています。四世紀から五世紀に作られた古墳の副葬品に馬の埴輪(はにわ)が出始めた、という事実があるのですが、徐々に副葬品に変化が現れだした事は、古墳学者が証明しています。ある時期の、ある古墳では馬の埴輪が埋められていても他の古墳では埋めらえていなかった。年代が進むと次第に、馬の埴輪が埋められている古墳が増えていった、という話です。もし征服されていたなら、ある時期から一斉に馬の埴輪が出土しているはずです。ちなみに「古事記」でも「日本書紀」でも、天皇は常に徒歩か舟で移動なされています。馬に乗った描写は全くありません。便利だったので、少しづつ大陸から入って来たものと思われます。何とも言えないバカバカしい説なのですが、なぜか、戦後の日本人に受けて、1991年に江上教授は文化勲章を受章しています。

戦時中には、日本神話が史実として扱われ、万世一系の皇統の歴史が徹底的に教え込まれましたが、江上説には、それを打ち壊す、痛快さ、斬新さ、があり、開放感を招く力があったのと、中国、朝鮮に対して行ってきたことへの贖罪の意識があったとも言われています。

しかも、この説では、崇神天皇(すじんてんのう)が、騎馬民族を率いて、日本に襲来した事になっており、皇統の源流が朝鮮半島であると説明しています。自虐史観そのものです。後に科学の発展で否定されますが。

このチャンネルは、「日本人が書いてくれた我が国の歴史書を普通に読みましょう」というのが趣旨なので、皇国史観でもなければ、反日史観でもありません。日本人は神話の時代から日本人だった。皇統の先祖も全く同じ日本人だった、という事をわかっていただきたいだけの事です。

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