我が国初のヒーロー 倭建命 第三回



 弟橘比売(おとたちばなひめ)と悲しい別れをした倭建命は、上総からさらに海路で北上し、蝦夷(えみし)の住む竹ノ水門(たけのみなと)に至ります。恐らく、現在の宮城県では、と言われておりますが、定かではありません。そこで荒ぶる蝦夷たちをことごとく服従させ、また山や河の荒ぶる神を平定します。

都に帰る途中、足柄坂(神奈川・静岡県境)の神の白い鹿を蒜(ひる)で打ち殺し、東国を平定して、四阿嶺(あずまやのみね)に立ち、そこから東国を望んで弟橘比売(おとたちばなひめ)を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆きました。そこから東国をあづま(東・吾妻)と呼ぶようになりました。

また甲斐国(かいのくに)の酒折宮(さかおりのみや)で連歌の発祥とされる
「新治(にいばり)筑波(つくば)を過ぎて幾夜か寝つる」の歌を詠み、
それに、「日々並べて(かがなべて) 夜には九夜(よにはここのよ) 日には十日(ひにはとうか)を」と下句を付けた火焚きの老人を東の国造(くののみやつこ)に任じました。
その後、科野(しなの)で坂の神を服従させ、倭建命は尾張に入りました。

尾張に入った倭建命は、かねてより婚約していた美夜受比売(みやずひめ)が生理中であることを知り、次のように歌います。

「ひさかたの 天(あめ)の香具山(かぐやま) とかまに さ渡(わた)る鵠(くび) ひはぼそ たわや腕(がひな)を まかむとは あれはすれど さ寝むとは あれは思へど ながけせる おすひの裾(すそ)に 月たちにけり」

美夜受比売は答えて次のように歌いました。

「高光る 日の御子(みこ) やすみしし わが大君(おおきみ) あらたまの 年がきふれば あらたまの 月はきへゆく うべな うべな 君待ちがたに わがけせる おすひの裾に 月たたなむよ」

二人はそのまま結婚します。そして倭建命は、神剣(しんけん)である草那藝剣(くさなぎのつるぎ)を美夜受比売に預けたまま、伊吹山(いぶきやま)の神を素手で討ち取ろうとして出立します。

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