伊勢神宮誕生



第10代天皇の崇神天皇の御代(みよ)、天皇自身が天照大神(あまてらすおおかみ)の御神体(ごしんたい)である八咫鏡(やたのかがみ)と一緒に暮らす事に畏れ(おそれ)を抱(いだ)き、八咫鏡を、崇神天皇の皇女(ひめみこ)である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託し、倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を建て、天照大神を祀らせました。その後、垂仁天皇の御代に、天照大神は豊鍬入姫命から離され、垂仁天皇の皇女(ひめみこ)であらせられる倭比売命(やまとひめのみこと)に託されました。倭比売命は、天照大神を祀るに相応しい場所を求めて、大和、伊賀、近江、等、あちこちを訪ね歩きました。伊勢の地に入ったところ、

「この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ。」

という、天照大神から倭姫命への神託があり、それを受けて、倭比売命は、伊勢の地に、祠(ほこら)を建て、斎宮(いつきのみや)を五十鈴川(いすずがわ)のほとりに建て、磯宮(いそみや)と呼びました。これが伊勢神宮の始まりになります。

伊勢神宮は神明造(しんめいづくり)という建築方法で建てられていますが、その建築方法は依然として現役であるという凄い事実があります。
垂仁天皇は西暦で言えば三世紀の天皇なので、千七百年以上の前の建築方式が現役なのは、間違いなく、世界中で日本だけです。建築方式などの技術は、受け継ぐ人がいなければ、あっという間に廃れてしまいます。エジプトのピラミッドなどが良い例でしょう。あれ程大きな建物なのに、今では、人類は、どうやって作られたか、よくわかりません。

では、なぜ神明造りは現役なのでしょう?

それは現代の宮大工さんも神明造りで、伊勢神宮を作っているからです。

伊勢神宮は法隆寺などのように古い建造物という訳ではありません。二十年ごとにお宮を建て替え、八咫鏡をお移ししているので、建物は新しいものです。式年遷宮ですね。一人の宮大工は一生のうちに二回、式年遷宮を経験します。一度目の式年遷宮では、先輩から技術を教わり、二度目の式年遷宮で後輩に技術を教える、こうする事で古墳時代からの建築様式が今でも廃れずに残っている訳です。式年遷宮が始まったのは、西暦690年、持統天皇の時代ですが、幾度か、戦乱によって延期や中断があったものの、千三百年以上、続けることによって技術が継承され続けました。というわけで、我が国は世界最古の国であると同時に、千七百年前の建築技術が現役で使われている世界唯一の国なのです。

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