神武東征 後編



神々は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)のために剣(つるぎ)を遣わしただけでなく、もう一つ、助けを寄こしてくれました。神倭伊波礼毘古命の夢の中に現れた高木神から遣わされた八咫烏(やたがらす)の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀にたどり着くことが出来ました。周囲を山々に囲まれて森が広がっている、資源の宝庫のような素晴らしい土地でした。しかも当時には奈良盆地の中心部に、奈良湖(ならこ)という湖がありました。しかも、生駒山の向こう側は海で、海上交易ルートとの連絡も容易で海産物の入手も出来ます。

兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)、土雲の八十建(やそたける)、弟師木(オおとしき)、兄師木(えしき)などと戦って帰順させた後に、那賀須泥毘古(ながすねびこ)と、太陽を背にして戦います。

神倭伊波礼毘古命は、連戦するものの勝てないある日、天が曇り、雨氷(ひさめ)が降ってきました。そこへ金色の霊鵄(きんし)があらわれ、磐余彦尊の弓の先にとまった。するといなびかりのようなかがやきが発し、那賀須泥毘古の軍は混乱しました。那賀須泥毘古は磐余彦尊のもとに使いを送り、自分が主君としてつかえる邇芸速日命(にぎはやひのみこと)(物部氏の遠祖)は天神の子で、昔、天磐船(あまのいわふね)に乗って天降ったのであり、天神(あまつかみ)の子が二人もいるのはおかしいから、あなたは偽物だと言った。那賀須泥毘古は邇芸速日命のもっている天神(あまつかみ)の子のしるしを磐余彦尊に示したが、磐余彦尊もまた自らが天神(あまつかみ)の子であるしるしを示し、どちらも本物とわかった。しかし、那賀須泥毘古はそれでも戦いを止めなかったので、邇芸速日命は那賀須泥毘古を殺し、衆をひきいて帰順します。

神倭伊波礼毘古命は、畝傍山(うねびやま)の東南、橿原の地に都を置き、事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃(せいひ)とし、翌年に初代天皇として即位します。

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