三種の神器 


実際には日本の歴史は神話の前から繋がっている事は、前の動画で説明しました。

母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上りますが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対することになります。須佐之男命は疑いを解くために誓約(うけひ)を行います。誓約(うけひ)とは古代日本で行われた占いで、ある事柄について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断するものです。ここでは、互いのものを交換して、それによって生まれた神(五男三女神)の性別で判断を行っています。か弱い女神が生まれたので、即ち邪心がないとみなされました。
須佐之男命は「我の潔白が誓約によって証明された」と思い高天原に滞在しますが、天照大御神が大切にしていた畔(あぜ)をぶち壊したり、神様に捧げるお米である新嘗(にいなめ)を祭る神聖な御殿で大便をする、神様の衣を折る御殿に、皮を剥いだ馬の死体を放り込んで驚いた織女が死んでしまうなど、次々と粗暴を行い、天照大御神は絶望して天の岩屋に隠れてしまいます。天照大御神は太陽の神様なので、この世から太陽が消え失せてしまいました。
高天原も高天原と黄泉の国の間にあるとされる葦原中国(あしはらのなかつくに)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生しました。そこで、八百万の神々が天の安河の川原(あまのやすのかわら)に集まり、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)の案により、様々な儀式が行われました。天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作りました。八尺鏡と八尺瓊勾玉をぶら下げた御幣(ごへい)を布刀玉命(ふとだまのみこと)が持ち、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞(のりと)を唱え、天手力男神(あめのたちからを)が岩戸の脇に隠れて立ちました。天宇受賣命(あめのうずめ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして裸で踊り出します。それを見て、高天原が鳴り轟くように八百万(やおよろず)の神が一斉に笑いました。
これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問いかけました。
天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。
すぐに布刀玉命が注連縄(しめなわ)を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」と言いました。こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなりました。
八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、須佐之男命は髭と手足の爪を切られて高天原から追放されてしまいます。

この時に使われた八尺鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が三種の神器の二つです。天皇の践祚(せんそ)に際して、この神器のうち、八尺瓊勾玉ならびに八尺鏡とこれから話す天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の形代を所持することが皇室の正統たる帝(みかど)の証しです。
ちなみに、八尺鏡は伊勢神宮の内宮に収められています。八尺瓊勾玉は皇居にあります。
八尺鏡こそが天照大神(あまてらすおおかみ)の分身であり、ちなみに収められている伊勢神宮の内宮は西と東で20年ごとに建て替わります。式年遷宮(しきねんせんぐう)ですね。別の動画で詳しく解説したいと思います。

三つ目の神器は須佐之男命(すさのおのみこと)と関係が深いのですが、神々の住む高天原を追放され人間界に落とされた須佐之男命は出雲の国で川を遡って歩いていると、立派な屋敷に遭遇しました。その屋敷の前で、須佐之男命は娘を間に泣いている老夫婦に出会いました。その娘である美しい少女櫛名田比売命(くしなだひめ)がその地を荒らしていた巨大な怪物八俣遠呂智(やまたのおろち)への生贄にされそうになっており、それを悲しんで泣いていたことが分かり、それならば、自分が退治してやろう、その代わり、櫛名田比売命(くしなだひめ)を嫁にもらう、という約束をして、八つの首と八つの尾を持つ怪物、八俣遠呂智に立ち向かいました。須佐之男は櫛名田比売命(くしなだひめ)を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、老夫婦に八つの瓶(かめ)を用意させて。そこに濃い酒を満たし、八俣遠呂智を待ち構えました。まもなく八俣遠呂智がやって来ると、八つの首を瓶(かめ)に入れて、酒を飲み干しました。気持ちの良くなった八俣遠呂智はそこで寝込んでしまい、神産みにおいて、伊弉諾(いざなぎ)が火の神である加具土命(かぐつち)を切り殺した十束剣(とつかのつるぎ)で八俣遠呂智を切り殺します。その際に、尾から出てきたのが、三種の神器の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。「これは不思議で霊妙な剣だ。どうして自分の物にできようか。」と思った須佐之男は高天原の天照大神に献上しました。

その後、櫛から元に戻した櫛名田比売命(くしなだひめ)を妻として、出雲の根之堅洲国(ねのかたすくに)にある須賀(すが)の地へ行き、そこに宮殿を作り、住みつきました。そこで須佐之男が須賀神社を建てましたが、その時に詠んだ句が、

「八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を」(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)と詠みました。

です。須賀神社は「古事記」に記された、日本初の神社です。

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